先週東京国立近代美術館で開催されている
「 藤田嗣治展」を見た。(当館では5月21日まで開催) 平日だというのにものすごい人。 フジタがこれほど人気があるなんて知らなかった。テレビでジャンジャン 藤田嗣治のことをやっているからその効果かしら。もっとも団体さんか何かイヤホンと作品の番号首っ引きで作品自体をちゃんと見てない人がけっこう居たのも事実だが。
かくいう私も 藤田嗣治については、「乳白色の肌」でエコール・ド・パリの寵児だったこと、猫の絵が多いということくらいしか知らない。生誕120年ということで彼の全画業が初めて公開される貴重な展覧会ということだ。
日本洋画界の潮流に落胆しパリへ渡って最初の頃の絵は、モジリアニやピカソの画風を真似ているのがありありで、まだ自分の特色を見いだせなかったフジタの混迷状態が見て取れて面白い。
「乳白色の肌」の技法をみつけて一躍パリ画壇を席巻するわけだが、ただ珍しい技法を使っただけでは芸術としてすぐれているということはないわけで、今回初めてこの頃の作品を目の当たりにして、その描写力(とくに線の素晴らしさ)には驚嘆した。
この頃の作品で裸婦と一緒に必ずといっていいほど描かれている猫は皆同じ猫のようだが、これは実在した猫なのかフジタ自身の姿なのだろうか。
たしかに乳白色の肌をした裸婦達は輝くばかりに美しい作品だが、私は彼女たちには生の肉体の官能が感じられなかった。フジタは女(人間)を深く愛したことがあるのだろうかとふと思ってしまった。
それに引き替え、戦争記録画の部屋では圧倒的な人間描写の力にぐいぐい引き込まれてしまった。
とくに「サイパン島同胞臣節を全うす」と「アッツ島玉砕」の大きな絵には打たれた。NHKの放送で見た実際に中国など現地へ派遣されて描いた日本軍礼賛の絵の数々は何か緊迫感のない薄っぺらなものに感じられたのだが、新聞記事だけ読んでほとんど想像で戦争の悲劇を描いたこの2点は訴えかけるものがまるで違う。
当時、聖戦展覧会と銘打って国内を巡回した展覧会で、絵画などにはまるで縁のない市井の人たちがこの絵の前で手を合わせたと、後にフジタ自身が手記を書いているそうだがほんとうに心打たれる。
国家の戦意高揚宣伝に手を貸しながら、芸術家としての彼の魂は期せずして戦争というものの真実をえぐり出してしまったのだろうか。
戦争記録画を描いたことが戦後逃げるようにフランスに渡り、二度と日本の地を踏まないという結果を生むことになる。
フジタの作品の中で最も優れた代表作はこの戦争画の2点だと思えた今回の展覧会だったが、優れた作品故に日本を去らねばならなかったとは何とも皮肉だ。
同じように二つの国の狭間で異邦人としての苦悩を抱き続けたイサム・ノグチに思いを馳せずには居られない。
晩年は日本に永住し最も日本的な作品を制作したこと、また戦争で亡くなった人たちへの鎮魂のための作品作りを切に願ったこと、芸術とは社会に役立つものでなければならないという信念をずっと貫いて生きてきたノグチと、戦争記録画について何の弁明もせず、自分の中だけで完結させているフジタ。
(ノグチについての過去の記事は
2005年11月14日付にもあります。 )
芸術家としての苦悩はどちらがどうとは言えないが、愛した国とはいえ異国で生涯を終えなければならなかったフジタの胸の内はどうだったのだろうか。
フランスに帰化した直後に親友の木村莊八に当てた手紙が日本への思いが赤裸々に綴られたものだと先日新聞に紹介されていたが、「孤独でも淋しくはありません」と結ばれた文章が何か切ない。
最晩年の礼拝堂建設も、そこに描かれた壁画の中に礼拝する自画像が小さく描かれていることも、ユーモアというより二つの国に安住できなかったフジタの、最後のよりどころを此所に求めた孤独な心が感じられて胸が痛くなる。